悲しいことがありました。
14日にスリランカ行きを予定していました。
その3日前に義母が他界しました。
義母も日本に住む孫たちに会える日をとても楽しみにしていました。
ディネスはスカイプで会っただけ、結局抱っこさせてあげることが出来ませんでした。
悲しく悲しくて悲しくて。
お葬式をして、たくさんの親戚や知人と会い、話をしました。
義父と義母の話をたくさんしました。
あらためて彼女の送ってきた人生、生き様を知ることが出来ました。
そうすることで、悲しいけれど、彼女の存在を身近に感じられるようになりました。
義母のこと、出会った時のこと、書きました。
14年前に来日した時に私が撮った写真が遺影として使われていました。 満開の桜をバックに。 |
真面目なんだけど冗談大好きなタータとの間に4人の息子と娘が1人。孫10人。
1957年12月26日結婚、57年間連れ添う。
1957年12月26日結婚、57年間連れ添う。
1947年から1988年の定年まで小学校の先生、子育てと家事をしながら仕事、バリバリのキャリアウーマン。お料理もお裁縫も掃除もなんでも完璧に、簡単にこなしてしまう。定年までの37年間を同じ学校で教諭として務め、教え子は子どもの子どもの、そのまた子ども3世代までに。定年後、わずかな年金から、勉強に励む貧しい学生達のサポート。現在まで、娘で同じく教諭のナーリと寄付を続けていた。
決して弱音を吐かない強い心、そして寛大で優しい女性。
14年前の初めてあなたに会った日を思い出します。
その頃、あなたの息子ラールと私は愛媛に住んでいたので、外国に行くには関空まで行かなくてはなりませんでした。夜10時にフェリーに乗って、早朝神戸へ。空港まで移動してフライトを待ちました。タイを経由、5時間そこで過ごしてやっとスリランカへ。日本は初春頃、コロンボは真夏の気候、ガソリンの匂いと生温かい空気に顔が汗ばみます。
そこからまた5時間、車に揺られて、山特有のくねくねした道を行かなければなりませんでした。山道を行き慣れているドライバーの荒い運転、ジェットコースターみたいでした。長旅と疲れ、暑さ、初めて彼の家族に会う緊張、気分は最悪でした。
彼の「着いたよ」の言葉。ボロ雑巾みたいな気分だったけど、心臓がドキドキして緊張に包まれました。
車を降りると、家の前で小柄な女性が立っていました。すぐに笑顔で近づいてきて、私の手をとって家の中へ案内してくれました。疲れや緊張は吹き飛びました。それがアンマと会った初めての日、そしてその日から私のアンマになりました。
1928年12月1日---2013年12月11日 享年85歳
お葬式までの5日間、訪れた人は何百人だったのか分からないほど。大勢の人が彼女の死を悼み、祈りを捧げる。そのほとんどが彼女のかつての教え子。最期まで敬われた、生粋の先生、そしてみんなのアンマでした。